プロデュースとVOCALOID動画の考察っぽいもの

今回はコメントにて"プロデューサー術"を駆使するとどうして作者と視聴者間で距離がでてきてしまうのかを
知りたくなったという意見を頂いたのでそれについて考察していきます。


ニコニコ動画CGMと言えばいいのかどうかわかりませんが
匿名性の高いCGMを行うにあたりCGMを促していくには
面白い作品が"自分にもできる、作れる"と思わせることが重要なのではないのかなと思います。

実際には簡単そうに見えて高度な技術が散りばめられていることが多いのですが
技術的に簡単そうに見えることが他の人の作品参加への敷居を下げているわけです。

これが匿名性と組み合わさることで、受け手との技術的対等感と言えるものが生じます。
動画で使用されている技術と受け手がもっている技術が近い、もしくは動画での技術が低いほど
自分にもこれくらいできる、これだけ世間の評価が受けられるという意識が生じがちです。


それで実際に動画を投稿してみると同じような評価が得られないということが起こりがちです。
同じような技術力でこの差が生じるのには"広報・プロデュース術"と"企画・アイデア"の二つが存在するのではないかと自分は考えています。


"広報・プロデュース術"と"企画・アイデア"の2つの違いは
動画をクリックさせるまでの評価と動画をクリックさせた後の評価に影響するという点です。

ここで注意するのが"広報・プロデュース術"を使った動画をクリックさせるまでの評価というのは
実際には動画を見ていない段階での虚像の評価という点です。
そうなると当然、虚像と実際の動画評価での差というものが生じてきます。
この差が小さければ小さいほど問題はないのですが、大きいと問題が生じてきます。
誇大広告的になってしまうのです。

映画の予告編は面白そうだったのに実際はそうではなかったってやつですね。

ただ、音楽や映画、小説といった芸術作品は各人で評価が感覚的に違います。
ですから、工業商品等とは違って誇大広告だ!って言うことがほぼ不可能なわけです。

"広報・プロデュース術"を駆使できる技術を持つ人というのは
そういった動画をクリックさせるまでの煽りの技術が抜きんでいるわけですね。

それで、これを動画制作の当事者がやる分にはそう問題はないのですよ。
自分の作った動画ですから伝えたいことも語弊なくしっかりと伝えられるでしょう。

しかし、プロデュースのプロみたいな第三者が絡んでくると冒頭のようなことになります。
三者を介することで作者が伝えたいことが視聴者に伝わりづらくなる。
しかし、動画のクリック率は上がる。
作者と多くの視聴者間で認識の違いが生じてくるとね。

直接でなく多くの人を介することで本来の意思が伝わらないというのは、いろんな物事でも生じがちですけど。
でも、動画をクリックしてもらえないとどうしようもないですから本当にこの辺り難しいと思いますよ。


それで"企画・アイデア"の方ですが、これは"VOCALOIDを使用した音楽"という点で
VOCALOID系曲動画を共通項がありますから、よっぽどの題材を曲にしていないと
他の曲と差別化をして視聴者に印象付けるというのは困難だと思います。
ですから動画クリック後の評価は曲の技術的面も大きいのでしょうね。

ただ、これは動画をクリックされて初めて言えるものです。


発見されなければどんな才能もないに等しいわけですよ。

そういうのはやっぱりもったいないですよね。

まー、この辺りは自サイトで曲を公開してても中々人が来てくれなかったという
経験をされている方は分かるかもしれません。

サイトの存在が知られてなければってのと近いかんじです。
=動画の存在が知られていなければ・・・

動画を開かせるまでの工夫も必要になってきたということでしょう、たぶん。