ニコニコ動画のコメントシステムと音楽主体の動画についての考察。

今回は何故、音楽主体の動画が「動画」投稿サイトで受け入れられたのだろうということについてです。

ここで言う動画投稿サイトはもっぱらニコニコ動画になりますけどね。

この題材について考察することになった発端は
静止画1枚に音楽をつけた動画が100万も再生されるなんて凄いよな
という発言を見つけたからです。

ニコニコ動画全体の動画数は現在約170万。
それに対して100万再生以上のものは約70しか存在しません。

その70の中に静止画1枚の動画がいくつかあるわけです。
動画単体としてみた場合、凄いと思いますがある種異常にも感じることでしょう。

ここで自分は「動画単体」という表現をしました。

YouTubeで画像が変化しない音楽のみが流れる動画をあなたは最後まで試聴できるでしょうか?
大体1曲流れるとなると3分ほど時間は要します。
3分間他のことは何もせず音楽が流れてくる画像を見続けることができますか?

多分、大半の人がノーと答えるでしょう。
これが今回の考察内容の本質だと思います。


これは日常生活でも同じだと思います。
日頃音楽を聴くときにどういった状況で音楽を聴いているでしょうか。
通勤・通学の移動中だとか、部屋で雑誌を読みながらとか、〜しながらということが多いのではないでしょうか。
目を閉じてひたすら音楽のみに集中するということはかなり限定されると思います。

気軽に音楽を聴いてもらうには〜しながらという状況が重要だと考えられます。

まぁ、なぜこれが重要かというと耳だけで音楽を聴くという行為に慣れてないからだと思います。
歌番組や実際の演奏・ライブでもそうですが、音のみを流すってほとんどないですよね。
パフォーマンス的なものや視覚的変化を入れて、視覚的に視聴者を飽きなくさせています。

「視覚的に視聴者を飽きなくさせる」

試聴に時間的拘束を必要とする音楽において、これは結構重要なことなのではないのでしょうか。


で、話はニコニコ動画のコメントシステムに行きます。
一枚絵という長時間の視聴には向かないものが、このコメントシステムで補完されているのではないでしょうか。

ニコニコ動画ではコメントがされると画面をコメントがそれなりの速さで右から左へと移動していきます。
それなりの速さというのが重要で、人間の視線は動いている物体にどうしても行きがちになります。
となると一枚絵よりもコメントに視線が行くわけですね。
その連続によって最後まで人にその動画を見せることが可能になっているのではと考えられます。

これは多分、YouTubeではできないことなんだろうと思います。

通常の動画投稿サイトでは飽きによって途中で「戻る」を押されてしまう可能性のある動画が
コメントによって視聴継続されるというシステムはそういった意味でも面白いと感じますね。

こういった理由から、コメントが少ない一枚絵の音楽動画は視覚的刺激という点で結構不利な状況にあると考えられます。
サムネイルとして動画をクリックしてもらう力はあっても、最後まで動画を見てもらうには至らないとでも言いましょうか。
曲が流れる3分間を一枚の絵の力で見せ続けるというのは難しく、
主役の音楽の他にコメントで時間による視覚変化を与える必要があるのではないかと考えます。

逆に再生数が多くコメントが少ない音楽動画は裏での作業用BGMとして使われている可能性がありますね。
〜しながら聴くという視聴のされ方です。
こういった使われ方がされる音楽動画の場合は予め音楽として一定のクオリティが認められているということなのかもしれません。
最初から視覚的にはあまり興味がない可能性がありますからね。